2015/01/05

新春特別篇「STUDIO D’ARTISANの物語 VOL.2」

新年、明けましておめでとうございます。
今年もSTUDIO D'ARTISANをどうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、2015年新年一発目のブログは昨年の秋にもお届けした特別連載「ダルチザンの物語」の第2弾。

STUDIO D'ARTISANが、いかにして日本初のヴィンテージ仕様のセルビッチつきジーンズを作ったかを紐解いた前回に続き、今回はSTUDIO D'DARTISANが「児島」という地に拘り、今から6年前に作り上げた奇跡的な1本のジーンズの物語を紐解きます。


STUDIO D’ARTISANの物語 VOL.2
「100% MADE IN 児島ジーンズ」


開拓者、STUDIO D’ARTISAN
今から20年以上前から、ヴィンテージ仕様のセルビッチ(耳付き)ジーンズを作り続ける唯一のブランド「ステュディオ・ダ・ルチザン」は、時代の流れの中に埋もれかけていた技術を再発見し、新たな価値を提示してきたブランドである。

1980年代、大量生産の時代に一石を投じたダ・ルチザンのファーストモデルにして「日本初のヴィンテージ仕様のセルビッチ(耳付き)ジーンズ」である「DO-1」。それらをはじめとするダ・ルチザンのプロダクトは、一般的には見向きもされなかった不遇の時代を経ながらも、信念を貫いた一貫した物づくりによって「新たな価値」を世に問い続けるなかで、時代に左右されない普遍的価値を有する「本物」を愛してやまない好事家たちを中心にじわじわと浸透し、仲間を増やし、ジーンズにおけるヴィンテージシーンを確立していく。90年代以降には多くのヴィンテージレプリカのジーンズブランドが生まれ、そのクオリティーと影響力はやがてジーンズの本場アメリカのマニアたちも唸らせるものへと成長していく。

それは、まさにダ・ルチザンというブランドが立ち上げ当初に夢みた「アメリカを凌駕する日本の物づくり」の結晶だった。
日本のジーンズが世界的に脚光を浴びる中、日本の「ある場所」が世界のジーンズ好きの間で特別な場所となった。「児島」である。岡山県倉敷市のこの小さな町は、世界のジーンズ好きにとっては「ビッグタウン」だ。

ビッグタウン「児島」
歴史を紐解けば、この地についての記述は古くは日本書紀にも登場する。太古より皇族に縁のある地として幾度となく歴史に登場するこの地は、南北朝時代に京を逃れた皇族が拠点とした時期もあり、その時代から皇族の為の足袋などを生産する繊維工業の礎が築かれたという。その流れの中、江戸時代には香川県の金比羅詣の中継地としても栄え、旅人が様々な用途で使用した旅の必須道具「真田紐(さなだひも)」の生産が盛んであった。真田紐は、元々茶道具の桐箱の紐や、刀の下げ緒、鎧兜の紐などに用いられ、伸びにくく丈夫であることから庶民の間でも、重い荷物を縛ったり、吊るしたりするのに重宝された。真田紐の生地となる木綿を織る技術は時を経てメリヤス生地の生産へと発展し、それが作業服や学生服の生産へと時代と共に変貌し、現在では「学生服の国内シェアの80%」を担っている。繊維製品の中でも圧倒的な耐久性や機能性が求められる所謂ワークウェアである作業服や学生服のノウハウが、元来こちらもアメリカのワークウェアであるジーンズづくりに大いに活かされ、今や本国を凌駕するクオリティーの製品を生み出しているということは至極真っ当な流れであるといえる。

また、児島を含む備後地方は「備後絣」で有名な藍染も盛んな場所であり、インディゴ染めのジーンズを生産する土壌として、この上ない条件が揃った土地であったともいえる。

かつてゴールドラッシュに沸くアメリカの旅人たちに重宝された幌馬車の幌生地から生み出されたワークウェアであるジーンズ。世界にファッション革命をもたらしたこのワークウェアが、遠く海を隔てた小さな島国にも伝わり、同じく旅人のための道具である真田紐から派生した歴史を持つワークウェアの製造技術と邂逅し、その技術が世界のジーンズシーンに新たな風穴を開け、革命をもたらしたという事実は、壮大なジーンズ浪漫の中で最もエキサイティングな事柄のうちのひとつではないだろうか。

新たなる挑戦
最高品質のジーンズ=日本製=児島」というイメージは、今やワールドスタンダードである。しかし、ヴィンテージレプリカジーンズが世界的なブームとなり「児島」のブランド力が世界的に高まるなかでも、ダ・ルチザンの視点は一貫してクールであり、そのスタンスは常に「開拓者」だった。
「児島」というネームバリューだけが大きくなり一人歩きし、様々なブランドがその名を製品の冠に据える中で、「児島産」という線引きが一体どこにあるというのか?

2009年、30周年という節目を機にダ・ルチザンは新たな挑戦に乗り出す。「100% MADE IN 児島」のジーンズをつくる。
染色、生地、裁断、縫製、加工、ジーンズを生産するにあたっての全ての工程を「児島」で行う。
それは「児島」クオリティーをさらなる高みへと押し上げる挑戦であり、誰からも相手にされなかった「あの時代」共に戦ってくれたこの町へのダ・ルチザン流の敬意と恩返しでもあった。
それだけでもこれまで誰もやったことのない挑戦だったが、ダ・ルチザンはもうひとつ大きな挑戦を自らに課す。児島の地で、もはや伝説として語り継がれていた「日本最初機の力織機」。
随分と長い間、児島の町でひっそりと眠っていた日本最古の国産力織機である豊田自動織機「GL3」。幻の力織機と呼ばれるこの一台が、ダ・ルチザンの職人魂に火をつけたのだ。

「GL3」を稼動させ、「100% MADE IN 児島」のジーンズをつくるという壮大なプロジェクトを打ち立てる。

甦る「GL3」
豊田自動織機「GL3」かつてこの国の繊維産業の一端を担ったこの老兵は、児島の丸恵織物の工場の中で長年の労を癒すかのようにひっそりと眠っていた。この「日本最初期の力織機」は、今でも稼動はするものの製品化できるデニム生地を織り上げるには完全な状態ではなかった。
重積した長年の埃を丁寧に振り払い、稼動部をくまなく点検。故障箇所をチェックする。壊れた部品に関しては、現行の部品は使えない。部品取り用に残された不動機から必要な部品を丁寧に取り外し、可動機の故障部品と取り替えていく。途方もなく地道な作業であるが、部品がひとつひとつ取り替えられるたびに、少しずつではあるが「GL3」が息を吹き返していく。

こうした地道な修繕作業を経て、ようやく現役当時の息吹を取り戻した「GL3」。緯糸を数時間かけてセッティングし、いよいよデニムを織り上げる。トップスピードでシャトルが緯糸を走らせはじめる。職人にとって最も緊張かつスリリングな瞬間である。

ゆっくりと、だが確実に織りあがっていくデニム生地に、立ち会った者たちは皆息を飲んだ。表面に浮かび上がる独特のムラ、ザラついた質感は、これまで見たどの織機で織った生地よりも無骨で荒々しかった。製品化するにはまだ微調整が必要ではあるものの、デニム生地そのものが本来持つプリミティブな魅力がその生地には溢れていた。

生地のテンションを調整するため角材をかませるなど、「旧式の力織機」が時代の波に葬られようとしていた時代から、「旧式の力織機」によってしか生まれない豊かなデニム生地の風合いに気づき、それらと数十年間真剣に向き合ってきた開拓者ダ・ルチザンだからこその、アイデアと工夫で、「GL3」は遂に現代に甦った。ダ・ルチザンと創業時から惜しみなく協力を続けてくれている職人らによる、圧倒的な経験値と力織機に対する膨大な知のアーカイブがなくしてこのプロジェクトは成功しなかっただろう。

こうして、日本最古の力織機による完全児島生産のジーンズ「児島ジーンズ」は、完成した。このジーンズは単なる企画ではない。ダ・ルチザンのブランドアイデンティーである「物づくり」に対する職人たちの誇りが、プロダクトの中に脈々と流れていることの紛れもない証である。